看守は、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」 使徒言行録 16章 30節

問いには答えが伴う

偉大な哲学者たちは、問を知の道具として用いて知識を得ました。偉大な科学者たちは、謎を解明するために問いを用いて、驚くべき理論や複雑な機械を生み出しました。そして、偉大な解放運動も人々に問いかけることの大切さを伝えることで生まれました。問いは必ず答えをもたらします。

 モーゼの問いが、神の恐るべき御名を明らかにしました。「わたしはある。わたしはあるという者だ」。(出エジプト記 3章13-14節) 神様のソロモンへの問い掛けが、ソロモンに知恵に満ちた賢明な心を与えました。(列王記上 3章5-12節) アルタクセルクセス王による預言者ネヘミヤへの問いが、ネヘミヤによるエルサレムの城壁の再建に繋がりました。(ネヘミヤ記 2章1-8節) 

 今日のみ言葉では、フィリピの看守によるパウロとシラスへの問いが、看守とその家族に救いと喜び、そして平安を与えました。問いが絶えれば、答えも絶えます。わたしたちが、自分の抱える思い煩いを神様に問い掛ける時、神様は回答として恵み与えてくださいます。「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。 」(ペトロの手紙一 5章7節)

 

 

「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」 (出エジプト記 3章13-14節)

 

その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。 ソロモンは答えた。「. . . わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。. . . どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に訴えを正しく聞き分ける知恵をお与えください。. . .」   神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。 (列王記上 3章5-12節)

 

アルタクセルクセス王の第二十年、ニサンの月のことであった。王はぶどう酒を前にし、わたしがぶどう酒を取って、王に差し上げていた。. . .王はわたしに尋ねた。「暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるにちがいない。」わたしは非常に恐縮して、 王に答えた。「王がとこしえに生き長らえられますように。わたしがどうして暗い表情をせずにおれましょう。先祖の墓のある町が荒廃し、城門は火で焼かれたままなのです。」 すると王は、「何を望んでいるのか」と言った。わたしは天にいます神に祈って、 王に答えた。「もしも僕がお心に適い、王にお差し支えがなければ、わたしをユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください。町を再建したいのでございます。」 王は傍らに座っている王妃と共に、「旅にはどれほどの時を要するのか。いつ帰れるのか」と尋ねた。わたしの派遣について王が好意的であったので、どれほどの期間が必要なのかを説明し、 更に、わたしは王に言った。「もしもお心に適いますなら、わたしがユダに行き着くまで、わたしを通過させるようにと、ユーフラテス西方の長官たちにあてた書状をいただきとうございます。 また、神殿のある都の城門に梁を置くために、町を取り巻く城壁のためとわたしが入る家のために木材をわたしに与えるように、と王の森林管理者アサフにあてた書状もいただきとうございます。」神の御手がわたしを守ってくださったので、王はわたしの願いをかなえてくれた。 (ネヘミヤ記 2章1-8節)

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