集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。ヘブライ人への手紙 10:25

喜びと真心をもった集い

一人暮らしのマンション、一人部屋、パソコン、個人のパスワード、スマートフォーン、これらはすべて、わたしたちを、家庭という人間本来の自然な環境から引き離し、Facebook, Twitter, Instagram, LinkedInといったソーシャルメディアの人工的で偽りの友人関係の中へ招き入れます。人は集いを必要とし、他者との深い信頼関係はキリスト者の共同体にも欠かせません。祈りが叶えられ、神様がわたしたちと共にいらっしゃることの条件は集いです。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」 (マタイ 18:20) その共同体の維持と成長のための条件もまた、集いです。「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。」 (1 コリント 12:12) 布教活動の原動力となるのも、集いです。「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、 神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」(使徒言行録 2: 46-47) このような理由から、イエス様が天のお父様にお祈りされた中でも一番大切なお祈りは、「わたしたちのように、彼らも一つとなるために 」 (ヨハネ 17:11)です。ダビデもまた、信者たちが兄弟として一緒に集い、暮らすことを褒め称えています。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」 (詩編 133:1) 集い、一緒に歌い、踊り、食事をしましょう。そして、キリスト者の集いの恵みを喜び合いましょう。

 

天のお父様、わたしたちが信仰者として集うことができますように。聖霊様がより頻繁にわたしたちに集う機会をお与えくださいますように。アーメン。

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