「水がめに水をいっぱい入れなさい」 ヨハネ 2:7

求められる努力

人間は、自分の力では達成できないことに直面した時に、神様の助けを求めます。同じようなことが、ガリラヤのカナで婚礼があり、ちょうどぶどう酒がなくなった時にも起こりました。母マリアがイエスに向かって、「ぶどう酒がありません。」と言うと、

「水がめに水をいっぱい入れなさい」と、主は、まずは人間が自分たちの責務を果たすように(水がめを水で満たすという努力をするように)とおっしゃいました。自分がするべき努力を怠ると、わたしたちは、神様による奇跡を逃してしまうことになります。シリヤの将軍ナアマンは、預言者エリシャから次のように求められました。「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」(列王記下 5:10)。これを聞いたなナアマンは怒り、奇跡を危うく逃すところでした。ナアマンの家来たちは、「わが父よ、あの預言者が大変なことをあなたに命じたとしても、あなたはそのとおりなさったにちがいありません。あの預言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか。」 (列王記下 5:13)と、ナアマンに、重い皮膚病の癒しという奇跡を得るためには、彼に求められていることを行うことが必要であり、そうするようにと催促しました。たとえそれが、敵の制覇などといった大変なことでなく、ヨルダン川の水で体を洗うという簡単なことであってもです。ナアマンがエリシャの言ったとうりにすると、彼の皮膚は癒されました。このように、わたしたちも天からの命令に謙虚に従いましょう。

 

天のお父様、奇跡を享受するために、自分に求められている行いを知ることができ、謙虚にそれを実行することができますようにお支えください。聖霊様が、つねにお導きくださいますように。アーメン。

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