主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。詩編 127:1

創造の主

超高層ビルや都市計画、ビジネス企画、教会から家庭まで、これらはすべて、人間の手によって企画され作られたものですが、必ずしも堅固な土台の上に建てられているとは限りません。詩編の作者であるダビデは、全能者の力に依り頼み、多くの国家を建設しました。その彼が、次のように歌っています。「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。」(詩編 127:1)。いかなる構造であれ、その確かな存続のためには、創造主である神様とのパートナーシップが必要です。神様は、宇宙を創出したご自分の創造の力について、ヨブに問いかけました。「わたしが大地を据えたとき、お前はどこにいたのか。知っていたというなら、理解していることを言ってみよ。」(ヨブ記 38:4)。神様のみが、建物であれ、人の共同体であれ、その基盤となるべき岩盤がどれ(又は、誰)であり、その長さや広さ、頑丈さ、寿命をご存じです。ペテロは、罪深く、気が短く、ごく普通の漁師で、イエス様を否定したこともある人物です。しかし、そのペテロを、創造主はお選びになりました。「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」 (マタイ16:18)。主の教会は、非常に頑強な土台の上に建てられているため、哲学者や学識者、科学者や評論家のあらゆる批判に対して動揺することはありません。「雨が降って、大水が出て、風が吹いて、その家に襲いかかったが、倒れなかった。岩の上に土台があったからである。」(マタイ7:25)。 パウロは、この聖なる組織の頑丈さと完璧さについて、次のように述べています。 「使徒と預言者なる土台の上に築き上げられた建物であって、キリスト・イエス御自身がその『首石』である。」 (エフェソ 2:20)。この主が建ててくださるのでなければ、建てる者の働きはむなしいのです。ですから、主のご計画を受け入れましょう。創造主を迎え入れましょう。 

 

天のお父様、わたしはあなたのご計画を受け入れ、それに従います。聖霊様が、その建設に協力してくださいますように。主イエスのみ名において、アーメン。

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