「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」マタイ 10:18

善を求めなさい

完璧な善として地上にいらっしゃった神様のひとり子であるイエス様は、「善いお方」と呼ばれることさえお望みにならない程、もっとも善なる方です。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。」 (マタイ 10:18) この善である主に従うものとして、わたしたちはイエス様の良さを学び見習わなくてはなりません。預言者イザヤは証しています。「善を行うことを学び、裁きをどこまでも実行して、搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り、やもめの訴えを弁護せよ。」 (イザヤ書 1:17) これには日々の実践と、どの分野においても熟練した技能を身につけることのできる忍耐が必要です。自らの弱点や失敗の中で、常に善を求めたダビデと一緒に主に祈りましょう。「あなたはいつくしみ深くあられ、いつくしみを施されます。どうか、あなたのおきてを私に教えてください。」(詩編 119:68) この世界で今一番求められているのは善です。親、教師、国の指導者たちには、世界に善を植え育てる重要な役目があります。

 

天のお父様、あなたとイエス様の、完全な善の前にひれ伏します。聖霊様がわたしを善に導き、善の中でわたしを教え導いてくださいますように。主イエスのみ名において、アーメン。

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