ペテロは、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。マタイ 14:30-31

神に泣き叫ぶこと

わたしたちが生まれて最初に話すことばは、泣くことです。お腹が空いたことやオムツが汚れたことを知らせるとき、又はびっくりしたときに、赤ん坊は泣き叫び、夜中であっても自分の必要に母親が答えるようにと訴えます。生まれてから最初の数年は、泣き叫ぶことが子どもにとって一番大切なことであり、それによって必要が満たされます。人生の霊的次元においても、わたしたちが泣き叫ぶとき、それは愛に満ちた神様の注意を買い、神様が、わたしたち自身では叶えることのできない必要に答えてくださいます。ハガルが荒野で泣き叫んだとき、神様はすぐに彼女のために介入してくださいました。アナが自らの不妊という現状を泣きながら訴えたとき、預言者の母となるという答えを神様から頂きました。エステルとモルデカイは、ユダヤ人滅亡の命令を前に泣き叫び、神様からご加護を頂きました。通り道に座っていた二人の盲人はイエス様を見ると叫び出し、イエス様は彼らの目が見えるようにしてくださいました。このような例は、たくさん聖書に収録されています。ペテロも、沈みそうになり泣き叫んだとき、すぐに主が手を伸ばして助けてくださいました。「ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、『主よ。助けてください。』と言った。 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。『信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。』」(マタイ 14:30-31)泣き叫ぶことは、船員たちの最後の助けの綱であるSOSにたとえられます。わたしたちの叫びと涙は神様のこころを動かします。というのも、神様は憐れみに満ちた方だからです。神様に泣き叫ぶことを決して恥じたりしないようにしましょう。いくら年を重ねても、わたしたちは主の子どもに過ぎないからです。そして、憐れみ深い主は、わたしたちの必要を理解し、癒し、守り、助け、生かしてくださるからです。

 

天のお父様、あなたの子どもたちの叫びに耳を傾けてくださり感謝いたします。聖霊様が、わたしが極めて困難な状況にあるとき、あなたに泣き叫ぶことができる信仰をお与えくださいますように。そしてあなたから祝福を受けることができますように。イエス様のもっとも憐れみ深いお名前において、アーメン。