お約束どおり、この目でメシヤを見、あなたが遣わされた救い主にお会いしたのですから。ルカ 2:30-31

主を見ることを切望しましょう

映画や漫画、観光旅行といった産業が栄えているのは、人間が目の欲望にかられ、それを追求する故です。そして、そのような現代社会では、神様に出会うことや神様が現れてくださることを切望している人は稀です。約束された救世主を自分の目で見ることを誰よりも切望していた年寄りのシメオンは、聖霊様から、救世主の姿を見るまでは死ぬことがないと啓示を受けていました。そして、マリアとヨセフがユダヤの律法に従い、赤子を神殿に連れて来たちょうどその日に、聖霊に導かれシメオンもやって来たのでした。それだけではありません。聖霊が促すままに、救世主を見つけ手に取り、ことばに絶する喜びを安堵のため息で表しました。「お約束どおり、この目でメシヤを見、あなたが遣わされた救い主にお会いしたのですから。」(ルカ 2:30-31)イエス様も、主を自らの目で見ることの特権について次のようにおっしゃいました。「それから、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。『あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。』」(ルカ 10:23-24)預言者イザヤが言うように、神様の救済のご計画についての啓示は、主に選ばれた人たちの特権です。「イエスはお答えになりました。『あなたがたには、神の国の真理を知ることが許されていますが、ほかの人には隠されているのです。 預言者イザヤが言ったように、「彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、その罪を悔い改めて赦していただくことはない」(イザヤ6・9)のです。」(マルコ 4:11-12)わたしたちは、神様からの啓示と、神様のお姿を見ることを、こころから望みましょう。そうすれば、慈しみ深い神様は、快くそれらを賜物としてお与えくださり、世界に明かしする機会をお与えくださいます。

 

天のお父様、わたしの中に、あなたのお姿を拝見する望みを植え付けてくださり感謝いたします。聖霊様が、わたしがその啓示の瞬間を逃すことがないよう導いてくださいますように。イエス様のもっとも美しいお名前によって、アーメン。