諸国の民も、わたしがイスラエルの聖なる神、主であることを知る。エゼキエル 39:7

主の聖なるみ名

通常、名前は人の全体の呼び名であり、その人の身体、精神、そして霊のすべてが含まれます。わたしたちは、自分の名前を誇りに思い、生きている間にそれを様々な形で刻み残したいの考えています。神様のお名前についてはどうでしょうか。それは、力と権力、偉大さにおいて、人間の知識や理解をまったく超越したものです。神様はイスラエルの民がどのようにみ名に対して振る舞い、それを讃えるべきかについて、ご自分で記され、モーセを介して命じてくださいました。「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。」(出エジプト20:7)主の神秘についての知識、み名を正しく用いること、これは神様の民に与えられた至上の特権です。しかし、主のみ名を敬い讃えるにあたり、注意すべきことも書かれています。預言者エゼキエルの預言もまた、主のみ名の偉大さと権威について明し、さらに、主が諸国民の中にご自分のみ名を刻まれることについて預言しています。「こうして、わたしの民イスラエルの間に、わたしの聖なる名を知らせよう。わたしの名があざけられるようなことは、二度とさせない。諸国の民も、わたしがイスラエルの聖なる神、主であることを知る。」(エゼキエル 39:7)わたしたちも、主の相続者として、み名を讃えましょう。そして、主の民であることの使命に適った生き方をし、主の偉大さを述べ伝えましょう。

 

天のお父様、み名の栄光について明してくださり感謝いたします。聖霊様が、わたしが主の子どもとしての使命を敬い、それに応答する生き方ができるよう、お支え下さいますように。イエス様の至上のお名前において、アーメン。