海へ行って、釣り針を垂れ、最初に釣れた魚を取りなさい。そしてその口を開けると、あなたは一スタテル貨幣を見つけるであろう。マタイ 17:27

服従の報い

人生における必要の中には、わたしたちが自分の力では到底対抗できず、圧倒され困惑に陥しめられるものがあります。イエス様は、神殿に収める税金についての問いへの返答をめぐって、ペテロが置かれていた難しい立場をご存知でした。そこで、事態を解決するために彼がどのような対応をすべきが、具体的にとるべき行動を指示されました。「しかし私たちが彼らを躓かせないために、海へ行って、釣り針を垂れ、最初に釣れた魚を取りなさい。そしてその口を開けると、あなたは一スタテル貨幣を見つけるであろう。それを取って、私とあなたの分として彼らに与えなさい。」(マタイ 17.27)ペテロが受けた指示は、わたしたちを驚かします。海へ行き、釣りをし、魚を捕まえ、口を開き、硬貨をみつけ、取り出し、支払うこと。

 実際、わたしたちが抱える多くの問題への答えは、祈り、主のみ声を聞き、明確な指示をいただき、それに従順に従うことができるかどうかという、わたしたちの能力にかかっています。カナの婚宴でのマリアの人々への指示からも、これらの点の重大さが見て取れます。「母は手伝いの人たちに言った。『あの方が言われることを、何でもしてあげてください。』」(ヨハネ 2:5)

 一番最初の祖先(アダムとイブ)から今日まで、人間にとってもっとも困難なことの一つが服従です。しかし、神様の子でいらっしゃるイエス様は、人間としてこの世界にやって来て、ご自分のいのちとの引き換えに人類が永遠の救済を手にいれることができるようにと、完全な服従の模範を示してくださいました。服従は徳であり、それを抜きに、軍隊が戦いに勝つことはできず、家族が家族として存続することはできません。わたしたちは、謙虚に従順さと服従の道を歩み、天の祝福を頂きましょう。

 

天のお父様、従順であれと指示してくださり感謝いたします。あなたから奇跡の賜物である祝福を頂くことができるよう、聖霊様が謙虚さと服従の道へとわたしを導いてくださいますように。イエス様のもっとも美しいお名前において、アーメン。