あなたがたの体を、神に喜んでいただける、生きた、きよい供え物としてささげてください。それが神への礼拝となるのです。ローマ 12:1

生きた供え物を捧げなさい

国家の高官を訪問する際、所定の礼儀作法に従うことが求められます。わたしたちが「父」と呼ぶ全能の神様のみ前に歩み出るときは、それ以上の崇高な礼儀作法に従はまくてはなりません。パウロは、ローマの信者たちに、自分の体を生きた生贄として捧げることが、主に対する正しい礼拝のあり方だと説いています。「愛する皆さん。そういうわけですから、あなたがたにお願いします。あなたがたの体を、神に喜んでいただける、生きた、きよい供え物としてささげてください。それが神への礼拝となるのです。」(ローマ 12:1)供え物には犠牲が伴います。しかし、神様に自分が望むものを捧げることは、求められていることでもなければ、受け入れて頂けるものでもありません。アブラハムにとって、信仰の試練は、主に定められた犠牲を捧げるというものでした。「あなたのひとり息子を連れてモリヤへ行きなさい。そう、愛するイサクを連れて行くのだ。そして、わたしが指定する山の上で、完全に焼き尽くすいけにえとしてイサクをささげなさい。」(創世記 22:2)当然、この要求は、アブラハムにとってもっとも難しいものでした。しかし、彼は神様を喜ばせるために、それを実行することにしました。その結果、神様に息子を返して頂いたのです。わたしたちは、自らの体を生きた生贄として主に捧げましょう。この行為を通してのみ、わたしたちは主に喜んで頂き、受け入れて頂くことができるからです。

 

天のお父様、わたしに、自らを生きた生贄として捧げるようにと要求してくださり感謝いたします。聖霊様が、わたしが自らを躊躇することなく捧げ、主に喜んで頂くことができるよう、力づけてくださいますように。イエス様のもっとも愛すべきお名前において、アーメン。