また、心にあふれるほどの光が与えられて、神があなたがたを召して与えようとされる将来を、はっきり見きわめることができますように。エペソ 1:18

こころの目が開かれるように

人は、自分の周りのすべてを見ることができる目を持っていません。視野は限定されていて、毎日の暮らしのなかで生じる感情によって雲がかかったように、物事がはっきりと見えません。わたしたちが習得すべき重要な能力の一つは、視野の境界の限界を拡大することです。他の人が見ることのできないものを見ることができることが、わたしたちを他の人より優れた者にはしません。そうではなくて、信仰の目で境界の限界を超えたものを見ることで、「こころの目」でしか見ることのできない偉大なものを見ることができるのです。神様に出会ったとき、パウロは、肉体的視力を一度失い、再度、視力を回復しました。この体験と同時に、彼は「こころの目」も開いて頂き、神の教えに通じるようになりました。パウロは、わたしたちも、この貴重なこころの視野を獲得するようにと願っています。「心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。」(エペソ1:18)エマオという名の村へ向かう途中、二人の弟子は生き返られたイエス様に会いました。最初は彼らには主が見えませんでしたが、「こころの目」が開かれると、すべてが異なって見えるようになりました。「しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった. . . 。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」(ルカ 24:16, 31)わたしたちも、神様に「こころの目」を開いて頂くことを切望しましょう。そして、神様がご準備くださっているすべてのことを見ることができ、主を讃美することができますように。

 

天のお父様、目では見ることができないものを見ることができる「こころの目」の賜物をお与えくださり感謝いたします。聖霊様が、この世の視界の限界を超えたものを、わたしが見ることができるために、わたしのこころに光をあふれるほど与えてくださいますように。イエス様のもっとも美しいお名前において、アーメン。