ところが、弟は答えて『行きたくありません。』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。マタイ 21:29

命令に従いなさい

服従とは、人が、神様と自分の関係に基づき、人生において選択する道です。神様の明確な命令に従わなかったことが、楽園から追放されるといった、もっとも大きな損失を人間にもたらしました。イエス様の人生は、父の意思に従うという完璧な服従の体現であり、人間はそれに倣い従わなくてはなりません。ブドウ園の主人の息子のたとえ話です。二人目の息子は、最初は父親の命令に反発しましたが、その日のうちに、反省と悔恨の念に駆られ、父親の命令に従いました。「ところが、弟は答えて『行きたくありません。』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。」(マタイ 21:29) 命令の言葉に対する自然な衝動は、反発と不服従かもしれません。しかし、イエス様から学んでいるわたしたちは、自分の態度と行動を、イエス様が示して下さった服従の模範に照らし合わせ、確認する習慣を持たなくてはいけません。パウロが言うように、「そればかりか、さらに自分を低くし、犯罪人と同じようになって十字架上で死なれたのです。」(ピリピ 2:8)主が釘付けにされたカルバリ山の木が、わたしたちに、禁じられた木から実を取って食べるといった、最初の人間の両親の反発行為について思い起こさせ、その結果、わたしたちが神様の命令に注意深く従うことができますように。

 

天のお父様、服従の道へとわたしを招き入れてくださり感謝いたします。聖霊様が、わたしがあなたの命令を無視する時には警鐘を鳴らして下さいますように。イエス様のもっとも崇高なお名前において、アーメン。