感謝の歌をうたって主の門に進み、賛美の歌をうたって主の庭に入れ。感謝をささげ、御名をたたえよ。詩編100

朝の礼拝

いのちを頂き、今日も新しい一日を頂いたことを心に留めれば、わたしたちは人間であることの価値がわかります。この神秘を理解すること、創造主の前に跪き、主を讃美し崇拝し愛さずにはいられなくなります。あなたの存在とその他のすべての事は、尽きることのない慈しみを神様から頂くことで初めて可能となります。時として、わたしたちはこの事実を理解できません。また、それを当たり前の事と考え、心から感謝せずにいます。しかし、神様はいつも、ご自分の愛する被造物であるわたしたちに、時間といのちを溢れる程にお与えくださいます。そうであるからこそ、わたしたちはダビデに倣い、毎朝の礼拝を怠ってはなりません。感謝は聖性の真の現れであり、聖性そのものだからです。「感謝の歌をうたって主の門に進み、賛美の歌をうたって主の庭に入れ。感謝をささげ、御名をたたえよ。」(詩編100)あなたが神様に贈りものとして、いけにえとして捧げるべきは感謝です。そして、すべての名前に勝るお名前を讃えます。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」(フィリピ2:6-11)

 

天のお父様、朝最初にわたしがすべき仕事を思い起こさせてくださり感謝いたします。わたしが信じる者として、神に仕える者の義務である讃美の礼拝をおこなう時、聖霊様が一緒にいてくださいますように。イエス様のもっとも偉大なお名前において、アーメン。