見よ。わたしはあなたの名を手のひらに刻んだ。わたしの目の前にはいつも、くずれたエルサレムの城壁が見えている。イザヤ 49:16

主は覚えていらっしゃいますから、忘れないでいなさい

最新式の電子機器を購入するとき、皆、メモリ容量を気にするのは、自分の記憶力が弱まってきているからです。わたしたちの目に見えるものも、見えないものも、すべてを創造なさった神様は、わたしたち一人ひとりの名前や行動の詳細をご存じです。もちろん、今していることもご存じです。ちょうどエルサレムについて語られたようにです。「見よ。わたしはあなたの名を手のひらに刻んだ。わたしの目の前にはいつも、くずれたエルサレムの城壁が見えている。」(イザヤ49:16)アダムの子孫であるわたしたちには、驚くべき記憶力があります。アダムはすべての生き物を名付け、一つとして同じ名前を用いませんでした。名前に尽きたこともありませんでした。しかし、敵の誘惑により、禁じられた果物を欲し、女の勧めに屈し、一瞬であるが、物忘れに捕らえられ、その結果、神様から頂いた特権と記憶の才能を失ってしまいました。そのときから、神様の命令を忘れてしまう病が人を襲うようになり、反抗と不従順が習慣となってしまったのです。神様は、ご自分で律法を石の板に刻まれ、要点をお書きになったのですが、それさえも、人は覚えていることも、行動に移すこともできませんでした。そこで、神様は、人が覚えていることができるようにと、ご自分の律法を人のこころに刻むという新しい方法を導入なさいました。「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。―主の御告げ。―わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ 31:33)わたしたちのことを、神様が完全に覚えていらっしゃることについて、感謝を捧げましょう。主が自分にしてくださったことを忘れず、主を覚えていることを通して、感謝の意を示しましょう。そして、注意して主のおっしゃることに従い、主から記憶力を頂き養いましょう。

 

天のお父様、いつもわたしを、わたしの名前と一秒一秒の行動を、覚えていてくださり感謝いたします。聖霊様が、わたしの中に刻まれている、主の律法を記憶することへの熱望を高めてくださり、わたしの記憶する力が養われますように。イエス様のもっとも従順なお名前によって、アーメン。