私たちは、何をどのように祈ったらよいかさえわからないのですが、御霊は、ことばに表せないほどの深い同情と理解をもって、とりなしてくださるのです。ローマ 8:26

偉大な執り成しの祈り手

最大限に努力しても達成できないことを、わたしたちに代わって祈ってくれる人のとりなしによって、達成することができます。これが、幼年期からのわたしたちの経験です。母親は、子どもに代わって、父親にお願いし、わたしたちが必要とするものを手に入れてくれました。同様に、わたしたちには望むものが何かわかっていても、どのようにそれについて神様に祈り、手に入れることができるのかがわかりません。わたしたちの最愛の父でいらっしゃる神様は、わたしたちがこころから望み、誠実な意図と真の必要が伴う願いは、叶えてやりたいとお考えです。そこで、神様ご自身が、わたしたちのために最強のとりなしの祈り手をご準備くださいました。そのお方は、わたしたちの祈りを天の祭壇に運んでくださり、神様から十分な回答を贈り物として勝ち取ってくださるお方です。パウロは、その豊かな霊的体験から、わたしたちが祝福された生をいきるために習得し、こころに留めるべき教訓を述べています。「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどのように祈ったらよいかさえわからないのですが、御霊は、ことばに表せないほどの深い同情と理解をもって、とりなしてくださるのです。」(ローマ 8:26 )聖書には、神の御子でいらっしゃる、わたしたちの主であり救済者でいらっしゃるイエス様も、天の王座の右側で、わたしたちのために執り成しをしてくださると書かれています。

「しかし、ステパノは聖霊に満たされ、ぐっと頭をもたげて天を見上げました。その目には、神の栄光と神の右に立っておられるイエスの姿が見えました。『ごらんなさい。天が開けて、メシヤであるイエス様が、神の右に立っておられます。』」(使徒 7:55-56)

「では、私たちを罪に定めるのはだれですか。キリストですか。とんでもない。キリストは私たちのために死に、復活し、今は神の右の座で、私たちのために祈っていてくださるお方ではありませんか。」(ローマ 8:34) 

「この同じ偉大な力が、キリストを死者の中から復活させ、ほかのどんな王、支配者、権力者、指導者よりもはるかに高い、天の神の右の座につかせたのです。このキリストの栄誉は、この世だけでなく、次に来る世でも、他のすべてにはるかにまさって輝かしいものです。」(エペソ 1:20-21)

イエス様はまた、わたしたちが他の人のために執り成しの祈りをすることの大切さについて教えてくださいました。夜中に訪ねてきてパンを求めた友のために、もう一人の友の家のドアをしつこく叩き、パンを手に入れた友のたとえ話をもちいてです。

わたしたちは、聖霊様を祈りの友として、神様との祈りの関係において聖霊様の存在を大切にしましょう。そうすることで、キリストの弟子として、勝利に満ちた人生を送ることができ、このことは、自分たちのみならず、周囲の人びとのためになるのです。

 

天のお父様、偉大な執り成し手をお与えくださり感謝いたします。聖霊様が、わたしが弱り果てているとき、わたしに代わり嘆き、信仰の歩みを続けることができるよう力づけてくださいますように。イエス様のもっとも偉大なお名前において、アーメン。