「神殿の前に立って、ユダの各地から礼拝しに来たすべての人に語りなさい。わたしの言ったことを全部知らせるのだ。わたしが彼らに聞かせたいと思っていることを、ひと言も省略してはいけない。」エレミヤ書 26:2

主のために立ちなさい

座っていること、寄りかかること、横になること―これらのくつろいだ姿勢とは対照的に、立つということは真の努力を必要とする姿勢で、まして、神のために立ち、神の代わりに語ることには、真の勇敢さが求められます。この勇敢さ、雄々しさが本物の預言者を特徴づけるものです。

 

16 それからイエスは、少年時代を過ごしたナザレに帰り、いつものように土曜日(安息日)に会堂へ行かれました。聖書を朗読しようと席を立つと、 17 預言者イザヤの書が手渡されたので、次の箇所をお開きになりました。

18-19 「わたしの上に主の御霊がとどまっておられる。

主は、貧しい人たちに

この福音(神の救いの知らせ)を伝えるために、

わたしを任命された。

主はわたしを遣わして、

捕虜には解放を、

盲人には視力の回復をお告げになる。

踏みにじられている人を自由にし、

主の恵みの年をお告げになる。」(イザヤ61・1―2)

20 イエスは朗読を終えると、聖書を閉じ、係の者に返して、腰をおろされました。みんなの目はいっせいにイエスに注がれました。 21 それにこたえるように、イエスはこう言われました。「この聖書のことばは、今日、実現したのです。」 22 人々はみなイエスをほめ、そのことばのすばらしさに驚きました。しかし一方では、「いったいどうなっているのだ。ただのヨセフのせがれではないか」とささやき合いました。(ルカの福音書 4:16-22)

 

イエス様は彼らの前に立ち、神のみ国の到来を宣言されました。そのことは、人びとを驚かし、主の父親の仕事に言及し、主をあざける者たちもいました。イエス様の模範に従い、使徒の指導者であるペテロも、怯えることなく大衆の前に立ちました。

 

〔使徒の働き 2:12-39〕

12 人々はただ呆然として、「いったい、どうなっているのだ」と顔を見合わせました。

13 しかし中には、「何、彼らは酔っぱらっているだけさ」と、あざける者たちもいました。

14 するとペテロが、十一人の使徒と共につかつかと進み出て、声を張り上げ、人々に語りかけました。「よそから来られた方も、エルサレムに住んでおられる皆さんも、どうぞお聞きください。 15 皆さんの中には、私たちが酒に酔っているのだとおっしゃる方もいますが、そんなことはありません。酒に酔うには時間が早すぎます。朝の九時から酒を飲む人はいないでしょう。 16 いま見ていることは、何世紀も前に、まさに預言者ヨエルが預言したことなのです。

17 『神は言われる。

終わりの日に、

わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。

その時、あなたがたの息子、娘は預言し、

青年は幻を見、

老人は夢を見る。

18 聖霊は、男女を問わず、わたしに仕える者たちに

注がれる。

すると、彼らは預言をする。

19 また、わたしは天と地に不思議なしるしを現す。

血と火と煙の雲だ。

20 主の恐るべき日が来る前に、

太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。

21 しかし、主にあわれみを求める者はみな、

あわれみを受けて救われる。』(ヨエル2・28-32)

22 ああ、皆さん。これから申し上げることを聞いてください。よくご存じのように、ナザレのイエスは、あなたがたの前で、力ある奇跡を行われました。神様はそれによって、だれにもはっきりわかるように、イエス様の身元を保証なさったのです。 23 神様はあらかじめ計画したとおり、この方を、あなたがたの手でローマ政府に引き渡し、十字架で処刑することをお許しになりました。 24 そうした上で、この方を死の苦しみから解放し、復活させたのです。この方が、ずっと死んだままでいることなど、ありえないことだからです。

25 ダビデ王は、イエス様のことをこう言っています。

『主はいつも私と共におられる。

主が私を助け、

神の大きな力が私を支える。

26 だから、心は喜びにあふれ、

私の舌は主をほめたたえる。

たとい死んでも、私には望みがある。

27 あなたは、私のたましいを地獄に放置せず、

あなたの聖なる息子の体を、

朽ち果てさせることもない。

28 私を生き返らせ、

あなたの前で、すばらしい喜びにあふれさせる。』(詩篇16・8-11)

29 愛する皆さん。考えてください。ダビデはここで、自分のことを語っているわけではありません。そうでしょう。ダビデは死んで葬られ、その墓は今でも、ちゃんと残っているではありませんか。 30 しかし、彼は預言者でしたから、自分の子孫の一人がメシヤ(ヘブル語で、救い主)となり、ダビデの王座につくと神が誓われたことを知っていたのです。 31 それで、遠い将来を望み見ながら、メシヤの復活を預言しました。メシヤのたましいは地獄に放置されず、その体が朽ち果てることもない、と語ったのです。 32 そのとおり、神様はイエスを復活させました。私たちはみな、そのことの証人です。

33 いまイエス様は、天で最も栄誉ある神の右の座についておられます。そして、約束どおり、父なる神は聖霊を送ってくださいました。その結果、たった今、あなたがたが見聞きしたことが起こったのです。

34-35 ダビデは、決して自分のことを言ったのではありません。ダビデは天にのぼったことはないからです。それに、当のダビデがこうも言っています。

『神は私の主に言われた。

「わたしがあなたの敵を

完全に征服するまで、

わたしの右に座っていなさい。」』(詩篇110・1)

36 ですから、イスラエルのすべての人に、はっきり言っておきます。神様が主とし、キリスト(ギリシャ語で、救い主)とされたイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

37 ペテロのことばは、人々の心を強く打ちました。「それでは、私たちはどうすればいいのでしょう。」あちらからもこちらからも、使徒たちへの質問の声があがりました。

38 ペテロは答えました。「一人一人、罪の生活から悔い改めて神に立ち返りなさい。そして、罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受けなさい。そうすれば、聖霊という賜物をいただけます。 39 それはキリストが約束してくださったことです。あなたがたは言うまでもなく、あなたがたの子孫、また遠くにいても、私たちの神である主がお招きになったすべての人に与えられるのです。」 (使徒の働き 2:12-39)

 

神の僕である男たちは、神殿の権威者の前に立って語ることを恐れぬ勇敢な男たちです。彼らは大胆さと勇敢さを、自分たちがそのおことばを代弁している、主から受けているからです。だから彼らは恐れません。預言者エレミヤもそうでした。「神殿の前に立って、ユダの各地から礼拝しに来たすべての人に語りなさい。わたしの言ったことを全部知らせるのだ。わたしが彼らに聞かせたいと思っていることを、ひと言も省略してはいけない。」(エレミヤ書 26:2) サミュエル、モーセ、エリヤ、パウロ、そして神から選ばれた男たちは皆、恐れを知らぬ剛勇さと、真の闘志を備えていました。というのも、生きる神でいらっしゃる主が、彼らを守ってくださっていたからです。彼らの一人ひとりが心から望んでいたことは、預言者として、信仰と勇気を持ち、神に逆らうものたちに判決を下し、神と人類と自然に対する罪を宣言することでした。現代の流行は、神がお選びになられた者が神殿の中庭に立つ、というよりは、聖職者という名を名乗る者たちが、互いに競争しあい、石や金属で碑を建て自分の名を刻むために、忙しくしているのです。これは、汗水流して働くことを知らぬ、冷暖房の効いたオフィスでの仕事を好む者たちの手による、漁師や農夫たちの汗と血の結晶である金の無駄使いです。神様が、わたしたちに充分なお力をお与えくださり、みことばを最優先しない者は、何者であれ、わたしたちがその者の有罪を告げることができるよう、勇気をお与えくださいますように。

 

天のお父様、あなたに代わり、立ち、語るようにと、わたしに命じてくださり感謝いたします。聖霊様が、いつも、わたしに充分な信仰と力をお与えくださいますように。イエス様のもっとも偉大なお名前において、アーメン。