偽りの天秤を主はいとい、十全なおもり石を喜ばれる。箴言11:1 

正しい秤を用いなさい

人を騙す行為の新しく洗練された呼び名がビジネスです。いかなるビジネスも、他人の必要を最大限に操り、最大限の利益を獲得することを目的にしています。そのために、需要と供給についての理論を極端に操作し、労働者には最低の最低賃金を払い、身分と位を与え、名刺を持たせ、指紋等を通じたタイムカード制などを強要し、労働の機械化を通して、彼らをシステムの奴隷として、彼らの体が続く限り無限に利用し続けます。この奴隷制には終わりがありません。また、ダイヤモンドやプラチナ、金、時計、香水、電気製品といった、生活必需品以外のものを生産する業者は、尽きることのない広告や、何年もかけて見世物にするために立ち方や身のこなし方を教え込んだモデルを使い、商品の購入を強いることを通して、人々を操作し、消費者にして、消費主義の罠に落とし込みます。非生活必需品である機械製品の中には、家族や友人といった親密な関係の中にまで入り込み、人間の代わりをするために生み出されたロボットも含まれます。魚、米、穀物、野菜、果物などの食物の生産者たちは、もはや自分たちの生産物の値段さえ決定することができません。企業組織がすべてを買い取り、値段を何倍にも跳ね上げ、商品としてそれらの食物を大きなショッピングモールで売るからです。これらが、ビジネスの基本的定義です。もし、包装や販売操作など、商品の購入についてなされる操作についても説明するとしたら、ビジネス産業はもはや崩壊するでしょう。そして、人びとが生産物を交換し合う、原始的な物々交換が主流となる新しい時代が到来するはずです。賢者ソロモンは、神様は偽りの秤を用いる者たちを嫌われると宣言しています。「偽りの天秤を主はいとい、十全なおもり石を喜ばれる。(主は人をだます者を憎み、正直な人を愛します。)」(箴言11:1 )

 

人間は、主観的で自己中心的、人種差別的で階級主義的、そしてえこひいきな、限定されたものさしを使い、他人の評価をすることに快楽を見出します。イスラエルの王の選考と任命のために、預言者サムエルが訪ねてきたとき、8人の息子の父親エッサイは、預言者の前に息子たちを並ばせましたが、その中にダビデは含まれていませんでした。というのは、父親や他の息子たちにとって、ダビデは大した価値のない少年にすぎなかったからです。

 

4 サムエルは主のことばどおりに行いました。一方ベツレヘムでは、町の長老たちが恐る恐るサムエルを出迎えて言いました。「これは、これは。わざわざお越しになられたのは、何か変わったことでも?」

5 「いや、心配はご無用です。主にいけにえをささげに来たまでです。いけにえをささげるため、身をきよめていっしょに来てください。」サムエルはエッサイと息子たちにきよめの儀式を行い、彼らも招きました。

6 彼らが来た時、サムエルはそのうちの一人、エリアブをひと目見るなり、「この人こそ、主がお選びになった人に違いない」と思いました。 7 しかし、主は言いました。「容貌や背の高さで判断してはいけない。彼ではない。わたしの選び方は、あなたの選び方とは違う。人は外見によって判断するが、わたしは心と思いを見るからだ。」

8 次はアビナダブが呼ばれ、サムエルの前に進み出ました。しかし、「主は彼も選んでおられない」とサムエルは言いました。 9 続いてシャマが呼ばれましたが、主からは、「彼もわたしの目にかなわない」という返事しかありませんでした。同様にして、エッサイの七人の息子がサムエルの前に立ちましたが、みな主に選ばれませんでした。 10-11 サムエルはエッサイに言いました。「どうも主は、この息子さんたちのだれをも選んでおられないらしい。もうほかに息子さんはいないのですか。」

「いいえ、まだ末の子がおります。今、野で羊の番をしておりますが。」

「すぐ呼びにやってください。その子が来るまで、食事は始めませんから。」

12 エッサイはすぐに彼を迎えにやりました。連れて来られたのは、見るからに健康そうで、きれいな目をした少年でした。その時、「この者だ。彼に油を注ぎなさい」と、主の声がありました。 13 サムエルは、その少年ダビデを兄弟たちの真ん中に立たせて、持って来たオリーブ油を取り、彼の頭に注ぎました。すると、主の霊がダビデに下り、その日から彼には卓越した力が与えられたのです。こののち、サムエルはラマへ帰って行きました。(サムエル16:4-13)

 

「聖なる教会」とよばれる組織においても、同様の罪が繰り返されています。そこでは、カーストによって、誰が教会の次の指導者となるのかが決定され、そのために「聖なる指導者」などと呼ばれる者が、自分のカーストに属する者のみを海外に派遣し勉強させ、いずれは、その海外で教育を受けてきた者のひとりが教会組織の指導者となることを狙うのです。当然、この計画は達成されます。ただ、計画が実現するときには、もう前の大司教は生きてはいないかもしれませんが、目的は達成されます。他にも、神から選ばれた者から海外での宣教の機会を奪い、挫折させ、その者が教会を去ることを余儀なくさせることで、大司教が自分の手を洗い、罪を隠したケースがあります。一方で、同じ聖職者は、自分の親族の中から叙階を受けたばかりの司祭をローマに送り、ネポティズム(えこひいき主義)が将来実を結ぶことを計画しているのです。腐敗した世界においては、「神の組織」とよばれる教会までが腐っているのです。

神様が、ビジネス界の平信者が偽りの秤を蔓延させたことについて、同時に、聖職者と彼らの組織が悪魔のものさしで人を計ってきたことについて、お許しくださいますように。わたしたちが、主の前に正直で謙遜なものでいられるよう、恵みをくださいますように。生産者や貧しき者たちに対するビジネス家の罪、力なき者に対する教会組織の罪を、主の慈しみが拭い去ってくださいますように。

 

天のお父様、わたしたちが自分を正すことができるよう、お助け下さり感謝いたします。聖霊様が、わたしたちが心から自分の罪を後悔し、不正義の被害者たちと平和を築くことができるよう、お支え下さいますように。イエス様のもっとも力強いお名前において、アーメン。