あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。 暗やみも光も同じことです。詩篇 139:7-12

神の視力

私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。

私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。

たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、

私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。

私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、

そこでも、あなたの御手が私を導き、

あなたの右の手が私を捕えます。

わたしは言う。 「闇の中でも主はわたしを見ておられる。

夜も光がわたしを照らし出す。」

あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。

暗やみも光も同じことです。詩篇 139:7-12

 

神の視力

 

近世以前の人びとの行動を抑制し、歩むべき道を統制していたのは、神が見ていらっしゃるという考えでした。敵は、人間の抑制することが不可能な悪への欲望を制限し、限定する役目を担っていた道徳観念を弱めることに成功しました。(敗北者である敵は、最後の戦いを、信者であるとなかろうと、無知な神の子どもたちに仕掛けてきます。そして、悪への欲望は、敵の誘惑に屈するまで、人を追い回します。)神の視力の範囲について考えるとき、わたしたちは恐れ慄きます。というのも、主は、昼夜関係なく、地球の西の果てで起こることでも、東の果てで起こることでも、天にあるものでも、下界にあるものでも、何でも全てを見ることがおできになるからです。羊飼いから王になったダビデは、このことを自分の経験から承知していいました。それは、羊飼いであった時の経験にも、主から油注がれた時の経験にも、自分が犯した罪を隠そうとした際の経験にも、当てはまることだからです。預言者サムエルが現れ、ダビデの行いをスキャンし、すべてを言い当てました。預言者なるものは、自分の益となることを優先する者ではありません。そうではなく、人々に忠告し、航海の鉾先を正させることを目的としている者たちです。良いことであれ、悪いことであれ、何事も神様、御子、そして聖霊様の目を逃れることはできません。

  イエス様がナタナエルに、彼が居た場所とその時の行動を言い当てると、ナタナエルは驚きました。『ナタナエルが彼に言う、「どうして私を知っておられるのですか」。イエスが答えて彼に言った、「フィリッポスがあなたを呼ぶ前に、あなたがあのいちじくの木の下にいるのを私は見た」。』(ヨハネ1:48)一晩中漁に出ても、魚一匹釣れず、疲れ果てて戻ってきた漁師たちが、イエス様が命じる通りに網を下すと、とんでもない量の魚が捕れました。彼らは、どうして大工の息子であるイエス様が、魚の居所を言い当てることができたのかと驚き、ペテロはとっさに、イエス様が彼の秘密も見抜くことができると悟り、自分は罪深い人間だから、どうかその場から立ち去って下さいと願い出ました。

 

「でも先生。私たちは夜通し一生懸命働きましたが、雑魚一匹とれなかったのです。でも、せっかくのおことばですから、もう一度やってみましょう。」 するとどうでしょう。今度は網が破れるほどたくさんの魚がとれたのです。 あまりに多くて、手がつけられません。大声で助けを求めました。仲間の舟が来ましたが、二そうとも魚でいっぱいになり、今にも沈みそうになりました。 シモン・ペテロは、あわててイエスの前にひれ伏し、「先生。どうぞ私みたいな者から離れてください。私は罪深い人間で、とてもおそばには寄れません」と叫びました。 あまりの大漁に、ペテロも仲間たちも恐ろしくなったからです。仲間には、ゼベダイの息子のヤコブとヨハネもいました。イエスはシモンに、「こわがることはありません。あなたは今からは人間をとる漁師になるのです」と言われました。(ルカ5:5-10)

 

サマリア人の女性は、神学の知識を並べた他愛の無いやり方で、イエス様と話していましたが、最後には自分の過去と現在の行いをすべて言い当てられ、イエス様こそが、イスラエルが待ち望んでいたお方であると確信しました。そして、フェミニスト神学者たちが言うように、彼女は最初の福音伝道者として、人びとにその事実を宣言して回りました。

 

スカルの村から押しかけたサマリヤ人の多くは、例の女が、「あの方は、私のしてきたことを何もかも言い当てた」と言うのを聞いて、イエスをメシヤと信じました。 彼らは井戸のところに来てイエスにお会いすると、村に滞在してくださいと頼みました。そこでイエスは、二日間滞在しました。  その間に、さらに多くの人がイエスのことばを聞いて信じました。 人々は女に、「もう私たちは、あなたが話してくれたことを聞いたから信じているのではない。この方が言われることを、じかに聞いたからだ。この方こそ、ほんとうに世の救い主だ」と言いました。(ヨハネ4:39-42)

 

使徒の働きの箇所にも、もう一つの事例があります。夫も妻も、誰も自分たちがしたことを知らないだろうから、見つかることはないだろうと、隠したお金の事実を隠ぺいし、嘘を言った事例です。彼らは、主に油注がれた者たちに、主から聖霊を通じて与えられる啓示を軽んじていました。その結果、二人とも嘘をつき続け、墓に葬られることになったのです。

 

それから三時間ほどたったころでしょうか。アナニヤの妻が、何事も知らずにやって来ました。 ペテロは尋ねました。「あなたがたが売った土地の代金は、これで全額ですか。」「はい、そうです。」 「どうしてあなたがたは、夫婦心を合わせて聖霊を試みたのか。見なさい。あなたの夫を葬った人たちが、すぐそこまで来ている。あなたも運び出されよう。」 ペテロが言い終わるか終わらないかのうちに、サッピラは床に倒れ、息が絶えました。ちょうどそこへ青年たちが入って来て、確かに死んでいるのを見届けると、その足で運び出し、夫のそばに葬りました。集まり全体とこれを聞いたすべてのものに大きなおそれがのぞんだ。(使徒5:7-11)

 

わたしたちも、自分が賢い者などと考えず、周りの人びとが証明することができないからといって、騙し続けることのないようにしましょう。回心しましょう。神様の目を塞ぐことなど、まったく不可能なことだということを、決して忘れてはなりません。たとえ友人たちや、信者たちや、政府を騙すことができるとしても、主を騙すことはできません。もし、それでも主に反抗することを選ぶのであれば、わたしが判決を下すのはやめましょう。主はおっしゃいました、『愛する者たちよ、あなたがたは自分自身で報復せず、むしろ〔神の〕怒りに場所を譲るようになりなさい。〔次のように〕書かれているからである。復讐はわたしのすること、わたしが報復する、と主が言われる。』(ローマ12:19) 神様が、わたしたちに、自分たちが自己中心や贅沢といった罪に、無意識的に屈してしまっている現状を認めることができる知恵をお与えくださいますように。そして、主の慈しみの賜物をすぐにでも頂くことができますように。

 

天のお父様、わたしたちをいつも視野の中において下さり、導き、お守りくださり感謝いたします。聖霊様が、あなたの永久の視野の真実について、わたしたちに確信させてくださいますように。イエス様の全知全能のお名前において、アーメン。