もし人が風に歩み、偽りを言い、「わたしはぶどう酒と濃き酒とについて、あなたに説教しよう」と言うならば、その人はこの民の説教者となるであろう。(ミカ書 2:6-11)

社会の正義

  

「そんなことを言うな」と人々は言う。

「そのようなことをくどくど言うのはやめろ。

そんな話はみっともない。

そんな悪いことが私たちに起こるはずがない。」

7 ヤコブの家よ。それは正しい答え方だろうか。

主の御霊が、好きでそんな荒々しい話し方を

すると思っているのか。そうではない。

その脅しは、あなたがたのため、

正しい道に立ち返らせるためのものだ。

8 それなのに、今この時まで、

わたしの民はわたしに反抗している。

あなたがたを信頼し、安心して歩いている者の背後から

上着をはぎ取っている。

9 未亡人を家から追い出し、

その子どもたちから神が与えた権利をもぎ取っている。

10 さあ、立て! 出て行け!

もうここは、あなたがたの土地でも家でもない。

罪でこの地をいっぱいにしたので、

吐き出されるのだ。

 

もし人が風に歩み、偽りを言い、「わたしはぶどう酒と濃き酒とについて、あなたに説教しよう」と言うならば、その人はこの民の説教者となるであろう。(ミカ書 2:6-11)

 

 皆が食べることができ、住み家があり、教育を受けることができ、病気になれば治療を受けることができる、誰もが正義と尊敬と権利を享受できること―これらが、権力者が誰であれ、どの国の政府であれ、民が求めることとなるでしょう。そして、この条件が満たされるまで、社会秩序の安定はあり得ません。このことは、統治者や政治家、官僚のみの責任ではありません。肌の色、学歴、身分、階級に関わらず、国民は皆、このことの責任を負っています。責任の程度が異なるだけです。神から求められていることを行なわないことは、禁じられている悪を行なうことと同様に有罪です。ですから、わたしたちは悔恨し、心から罪を悔い、犠牲の捧げものを伴い、主に慈しんで頂けるよう懇願しなくてはなりません。ちょうど、ニネべの町の人びとが、預言者ヨナが伝えた主の声に従い、したようにです。

 

ヨナ書 3:1-10

ニネベに行ったヨナ

1-2 主は再び、ヨナに語りました。「あの大きな町ニネベへ行き、前に命じたように、滅びが迫っていることを警告せよ。」

3 そこでヨナは、言われたとおりニネベへ行きました。ニネベは非常に大きな町で、その周囲にもたくさんの村々がありました。町を一回りするだけでも、歩いて三日かかるほどでした。 4-5 しかし、ヨナが町に入って説教を始めたその日から、人々は悔い改め始めたのです。ヨナは回りを取り囲んだ群衆に、「今から四十日後に、ニネベは滅びることになる」と叫びました。すると、彼らはヨナのことばを信じて断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで、すべての者が荒布をまとって、悲しみを表したのです。

6 ニネベの王は、ヨナが語っていることを聞くと、王座から下り、王服をわきに置いて荒布をまとい、灰の中に座りました。 7 そして王と大臣たちは、町中に次のようなおふれを出したのです。「何人も、動物さえも、食べ物を口にしてはならない。水も飲んではならない。 8 荒布を身にまとい、ひたすら神様に向かって叫べ。暴力や強奪をやめ、悪の道から足を洗うようにせよ。 9 もしかすると、神様は私たちを生かそうと決め、怒りを静めて、滅ぼさないでくださるかもしれないからだ。」

10 こうして神は、彼らが悪の道から離れたのを見ました。それで、彼らを滅ぼす計画を思い直し、それを実行しませんでした。

 

わたしたちが犠牲の捧げもの(断食)と呼ぶ行為と、主がそう呼ばれる行為の間には、大きな違いがあります。主は預言者を用いて説明されています。

 

イザヤ書 58:3-7 

3 彼らは不満げに言う。

『あなたの前で断食したのに、

なぜ心に留めてくださらないのですか。

なぜ、私たちのいけにえをごらんにならないのですか。

どうして、私たちの祈りを

聞いてくださらないのですか。

たくさんの罪滅ぼしをしたのに、

目も向けてくださいませんでした。』

その理由を説明しよう。

おまえたちは断食の最中にも悪い楽しみにふけり、

雇った労働者を虐げている。

4 考えてもみなさい。仲間割れしながら断食して、

いったいどんな益があるというのか。

そんな断食をしても、

わたしとの関係は少しも良くなるはずがない。

5 そんな罪滅ぼしが何だ。

風に揺られる葦のように頭を下げたり、

荒布をまとって灰をかぶったりすることを、

はたしてわたしが望んでいるだろうか。

6 わたしの喜ぶ断食とは、労働者を虐げるのをやめ、

公平な扱いをし、

彼らに正当な支払いをすることではないか。

7 空腹の者には食べ物を分け与え、

身寄りのない者、暮らしに困っている者を

家に迎えること、それがおまえに望むことだ。

寒さに震えている者には着物を着せ、

親族が助けを求めるなら助けを惜しまないことだ。」

 

断食と呼ばれる、聖職者たちによって説かれ推奨されている行為は、敬虔な行為ではありません。そのような断食を行なえば、牧師や司祭たちから褒めてもらえますが、本来の断食とは異なります。本当の断食には、生き方の革新が求められます。そのためには、新しい魅力的な名前で呼んでいる悪の行動を捨て去らなくてはなりません。そして、この断食は、一人隠れてすることです。最良の主であるイエス様は、次のようにわたしたちに命じられました。「断食をする時は、むしろ晴着をまといなさい。」(マタイ6:17)(自分の内面を刷新するための断食なのだから、髪を洗いとかし、歯を磨き、顔を洗い、外面では普通の装いをしなさい。)

 

 

わたしたちが、主の王国の秩序に適ったな正しい断食を行ない、主に代わり社会正義のための仕事をするとき、主は、こっそりと豊かに、わたしたちを祝福してくださいます。というのも、断食は隠れてするものだからです。「そうすれば、だれもあなたが断食をしているとは気づかないでしょう。しかし、あなたの父は、どんなことでもご存じです。そして、報いてくださるのです。」(マタイ 6:18 )社会正義のための情熱を主がわたしたちに植え付けてくださいますように。そして喜びと平和を頂くことができますように。

 

天のお父様、緊急の任務である社会正義について教えてくださり感謝いたします。聖霊様が真の断食と回心をわたしの中に生み出してくださいますように。イエス様のもっとも同情深いお名前において、アーメン。