彼は神の栄光の放射、〔神の〕実体の刻印であり、その力ある言葉によって万物を担っており、(この世に降り)、罪の潔めを成し... ヘブライ人へ 1:3

高きところで偉大な方の右に座った方

彼は神の栄光の放射、〔神の〕実体の刻印であり、その力ある言葉によって万物を担っており、(この世に降り)、罪の潔めを成し(とげて、ふたたび)高きところで偉大な方の右に座った方である。ヘブライ人へ 1:3

 

彼は神の栄光の放射、

誰も天の父の栄光あるお姿を拝見したことはありません。だからこそ人間のかたちで御子をこの世にお送りになりました。御子は、この世にいながら天の父の栄光を放っていました。だからこそ、御子は「私も見たものは、天の父を見たのだ」と言われました。

 

〔神の〕実体の刻印であり

神は一体であると私たちは信じます。聖書の中で神はご自分を父として、御子として、そして聖霊として現わされました。三位一体の二番目のお方は、天の父が神として持たれるすべての特徴を体現なさっています。つまり、父の愛、父の慈しみ、父の権威、父の神聖さ、そして父の許し...すべてを体現されたお方が御子です。

 

その力ある言葉によって万物を担っており、

まさに、自らのお言葉によって御子はお望みになられたことを全ておできになりました。それらは、ラザロを死から蘇らせること、いかなる病の人も癒すこと、悪霊に苦しめられていた人からそれらの霊を追放すること、自然に「静かに静止するように」と命じること。また、罪の許しを本当に必要としている人に与えること、などです。すべてが主の言葉の力一つで実現しました。

 

(この世に降り)、罪の潔めを成し(とげて、

神の法をわたしたちが犯すときはいつでも、罪がわたしたちの内に生まれ、汚れを生み出します。しかし、わたしたちの力ではその汚れを清めることはできません。イエス様がご自身の血によって私たちの罪を清めてくださったのはそのためです。ヨハネは、「しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」(ヨハネの手紙第一 1:7)と述べています。ダビデもまた、罪を犯し清めを望んだ時、「 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。」(詩編51:7)と嘆願しました。

 

筆者パウロは続けます。御子はこれらすべてを達成なさった後、

 

ふたたび)高きところで偉大な方の右に座った方である。

神は天の御座に偉大なお姿で座していらっしゃります。イザヤ書第6章、黙示禄第四章、また、他の個所でも、神が偉大なお姿で天の御座にいらっしゃることが書かれています。イエス様は天の父の隣に座していらっしゃいます。右隣に座していらっしゃいます。一体イエス様はそこで何をされているのでしょうか?主は私たちのために祈ってくださっています。執り成しの祈りをしてくださっているのです。わたしたちが神の御座に近寄ることができるのは、イエス様を通してです。イエス様のお名前において、聖霊様のお力を通して、私たちは奇跡を起こすことができるのです。そして、今まさに奇跡を必要としている世界において、これらの神秘の証人として働くのです。

 

天のお父様、あなたの栄光の放射でいらっしゃる御子をこの世にお送りくださり感謝致します。私たちは、あなたの特徴を体現していらっしゃる御子を賛美します。そしてイエス様がこの世で達成なさった、この世にいのちをもたらすということの成功と勝利の力の源でいらっしゃる聖霊様を、私たちはこよなく愛します。私たちの神でいてくださりありがとうございます。私たちの罪を清めてください。精霊様に導いていただき、毎日、わたしたちが神の御座に歩み出て、奇跡を必要としているこの世界の良い手本となることができますように。イエス様の偉大なお名前において、アーメン。